患者さんと
ご家族へのインタビュー
〜血友病と生きる
私たちのいろんな気持ち〜

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INTERVIEW

私が「血友病の息子の母親」という事実を受け入れるまで。

血友病と生きる私たちのいろんな気持ち〜田中三穂さん
広島市の原爆ドームがある平和公園にて。早朝、家族で平和公園をランニングしているそうです。
血友病と生きる私たちのいろんな気持ち〜田中三穂さん
田中三穂さん
広島県在住
主婦

看護師として12年働いた後、結婚・出産。現在、小学5年生と3年生の男児の母。夫の転勤にともない、2017年に家族で広島県へ移住。
看護師として12年働いた後、結婚・出産。現在、小学5年生と3年生の男児の母。夫の転勤にともない、2017年に家族で広島県へ移住。
はつらつとした声で明るく話す田中三穂さん。彼女に悩んだ時期があったことなど、その外見からは一切分かりません。実は、田中さんの二人の息子さんは血友病なのです。これまでにどのような苦悩があったのか。心境の変化や患者会との出会いなどについてうかがいました。
息子がまさかの血友病に。
医療者であるが故に生じた自責の念
血縁関係に血友病の人は誰もいないので、まさか我が子が血友病になるとはまったく考えていませんでした。私は12年間看護師として働いてきましたが、血友病の患者さんを看る事もなかったので、“めずらしい病気”という認識でいました。

長男が生まれハイハイが始まった頃、手足にあざがたくさんできることが気になり、受診を考えましたが、夫婦で話し合い少し様子を見ていました。しかし生後8ヵ月半を迎えたある日、つかまり立ちをしていて転び、口の中を切って出血。その時はすぐに血は止まりましたが、翌日に刺激で同じところから再び出血。止まらないので「これはおかしい」と受診したら、その日のうちに血友病と診断されました。
「一生付き合っていく病気で静脈注射が必要」だと思ったら、気が遠くなりました。「完治は望めず、薬を投与するしか対処法はない」と、自宅の近所の地域病院を受診し、専門医を探そうとはしませんでした。「それしかないのだから……」と、自分が医療者であることが邪魔をしたように思います。しかし、治療中にインヒビター(治療で投与された血液凝固因子を体が異物とみなし、抗体ができる)ができてしまったのです。「すぐに専門医に診てもらっていればと……」と、深い自責の念に駆られました。
広島へ引越後、息子さんたちは原爆ドームの見える小学校に通っています。現在、注射は息子さんたちが自ら週に3回打っているそうです。
広島へ引越後、息子さんたちは原爆ドームの見える小学校に通っています。現在、注射は息子さんたちが自ら週に3回打っているそうです。
入退院を繰り返す我が子。
当時は“認めたくなかった”のかもしれない
インヒビターだと分かったその日、点滴ラインをキープさせた1歳2ヶ月の長男を連れ東京行きの新幹線に飛び乗りました。専門医にお話を聞き、その後、アクセスポート埋め込み手術を受けました。手術の翌日、面会に行くと、点滴を抜かないように手足を縛られ放心状態で天井を見つめていた長男の姿は……今思い出しても、こみ上げるものがあります。退院の直後にも、近所のスーパーへ長男の手を引いて行ったら関節内出血を起こしすぐ歩けなくなり、再び1ヵ月以上入院を余儀なくされました。あの頃は、本当につらかったです。

今振り返ると、自分のなかに“認めたくない気持ち”があったのかもしれません。「心配をかけたくない」という思いから、血友病のことを主人以外には誰にも相談していませんでしたし、孤独感もありました。当時は患者会というコミュニティに入ることにも抵抗を持っていました。

でも、入院していた病院の臨床心理士さんから「『お母さんたちの集い』があるから行ってみない?」と声をかけてもらったのがきっかけで、親子で参加しました。同じ病気を持つ他のお子さん達の様子を知りたかったのです。
「子育てっていろいろなトラブルがありますよね。一般的な子育ての苦労に、ちょっと血友病が乗っかったという感じです」と笑う、田中さん。
「子育てっていろいろなトラブルがありますよね。一般的な子育ての苦労に、ちょっと血友病が乗っかったという感じです」と笑う、田中さん。
患者会での交流と、
「自由に生きることができる」という医師の言葉
その患者会で、大きな衝撃を受けました。元気に走り回っている子がいて、お母さんたちが笑いながら話をしていたのです。当時の私は心から笑えない状態だったので、「あぁ、こんなにも元気に成長するのだな……」とホッとして、みなさんを見ているだけで、自然にポロポロと涙が溢れてきたことを覚えています。

親子ともに患者会で友達ができ、お母さんたちと患者会以外でも定期的に会うようになりました。誰にも話せなかったことを普通に語れるのが癒しになりましたし、暮らしていくうえでの知恵やアイデアをたくさん教えていただきました。例えば、私は「出血したら製剤を投与するしかない」と思っていたのですが、「口の中を切ったら、すぐに氷やアイスキャンディをなめて冷やせばいい」といったものです。子どもが身近なもので対応できる知恵は大事だなと実感しました。

第2子を妊娠したときは、血友病の可能性があり、性別が分からず出産を迷いました。でも、ある病院の遺伝外来に通うなかで、医師の「今は治療が進んでいます。血友病は自由に生きることが可能な病気だから」という言葉で「病気であっても育てられる」と思え、決心がつきました。素晴らしいカウンセリング受けていたのだと今でも感謝しています。生まれた次男は、誕生から1時間で血友病と宣告されましたが、「長男で、大変な思いをしたのだから十分注意して育てなければ!」と気を引き締めました。
精神的な支えにもなっている患者会での様子。「同じ境遇の方たちに出会えて、本当に良かった。患者会は重要です」と話します。(田中さんよりご提供)
精神的な支えにもなっている患者会での様子。「同じ境遇の方たちに出会えて、本当に良かった。患者会は重要です」と話します。(田中さんよりご提供)
息子たちには「注射は眼鏡と同じ、病気は一生付き合う“体質”なんだよ」と説明
長男、次男との出会いは人生で最高の喜びの一つです。今とても元気な彼らを見ると「その存在が素晴らしい」と思います。二人には、病気のことは「一生付き合っていく“体質”で、眼鏡が必要な人が眼鏡をかけるようなもの。注射は眼鏡と同じよ」と話しています。また、世の中には重い病気を抱えて、また紛争地域で暮らしている同じ年の子がいることを忘れてはいけない、日常を普通に生活できることのありがたさに感謝するように伝えています。

家族、患者会や医療関係者のみなさんに支えられ、最近では血友病のセミナーなどに母親として登壇させていただいています。それを息子たちも喜んでくれています。
参考:「Web公開セミナー2018」(田中さんが後半でお話しされています)
https://www.hemophilia-st.jp/baxweb/movie_2018.html

今、お子さんのことで悩んでいらっしゃる方がいれば、全国に患者会や勉強会があるので、ぜひ参加してみてください。血友病の治療は進化し続けていて、覚えられないほど薬が出てきています。子どもに使う薬であるからこそ慎重になりますし、コミュニティを通じて情報を得ることもできます。そして、私のように「一人じゃない!」と励まされることも、きっとあると思いますよ。
兄弟げんかで出血し、慌てて注射を打ったこともあったそう。今は事前対策が上手になり、以前は行けなかった連泊の野外活動にも参加できるようになりました。
兄弟げんかで出血し、慌てて注射を打ったこともあったそう。今は事前対策が上手になり、以前は行けなかった連泊の野外活動にも参加できるようになりました。

取材後記

息子さんたちと歩んできた約10年の軌跡を、涙や笑顔を見せながら話してくださった田中さん。現実を受け入れしなやかに“母”になっていかれた姿や、血友病について熱心に勉強されている姿勢が印象的でした。有難うございました。
写真:橋本裕貴 文:小久保よしの
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