冊子「Friends」
【血友病体験談】みんなどうした?学校生活〜先生の声
先生の体験
保護者の方が、情報を入手しにくい状況であるということを感じました。自分で、「手探りで歩いてきた10年でした」とおっしゃってました。もちろん主治医の先生は、必要な治療や指導はしておられますが、私が提供したホームページの情報を、食い入るように見ておられました。そして、その情報に、自分でアクセスできる手段をお持ちでないということもありました。特に田舎において、血友病の子は、非常にめずらしい存在であり、学校スタッフはもちろん、保護者でさえ、それに関わる情報にとても飢えている状態なのだと思われました。だからこそ、血友病関連のホームページに偶然であえたことをたいへん喜びました。(小学校教諭)
校医さんが、それらしい疑いがあると助言してくれたので(その症状は素人が見ても十分判断できる状況ですが)、両親に子どものことについて話してもらえるかどうか伺いを立てましたが、「血友病」とは認めてくれませんでした。こちらからもその病名は出せずじまいです。しかし、救急の場合を考え対策は立てています。(小学校教諭)
授業にかかわることでは特に困ったことはありませんでした。ただ、親御さんが共働きであり、徒歩での通学が困難なときに、送り迎えがたいへんそうでした。公共交通機関がなく、1時間近くも歩く校区設定なのです。だから、学校が放課になっても、お母さんの仕事が終わるまで、子どもは学校で待っていることになるのです。ひとりぼっちで教室で待っているわけにもいかず、職員室でいろんな先生に話しかけられながら、宿題などをしながら待っていたのですが、なんとも気の休まらない時間だったろうと思います。学校内に「児童クラブ=学童保育」施設はあるのですが、学年や期間など、いろいろな制限があり、対象外となります。つまり、行くところがあるようでないのでした。(小学校教諭)
関節の具合が悪くて、車椅子生活が始まるとき、学級の子ども達に対して、どう話したものかと少々なやみました。今までのぼんやりした説明に比べて、より具体的な内容が必要だと考えたからです。悩みながら話した私の不十分な説明にもかかわらず、ありがたいことに、子ども達は「助けなきゃいけない」とか、「助けたい」という気持ちを、ごく自然な行動で発揮してくれました。これは現時点での結果論であり、もっと後になって、当事者である彼が、そのときの気持ちをどのように語ってくれるかは、今は不明です。でもあの時、「これは言っておかなきゃ」と感じた内容を、学級の子ども達に率直に語ってよかったと思っています。(小学校教諭)
- Friends「学校に行こう」編(小島賢一)