ファインな仲間たち[ 体験談 ]高校生の患者さんとそのご家族の体験談
病気だからこそ、得られたものもある。
たくさんの人に支えられて、いまがあることに感謝したい。

高校3年生の松村脩平さんは、全国でも数少ない第IX因子欠乏症(血友病B)のインヒビターを持つ患者さんです。まだ1歳にも満たない頃、血友病と診断され、すぐにインヒビターができ、現在までバイパス止血療法*を行っています。脩平さんが病気に向き合いながらも充実した学生生活を送り、そしてご家族が明るく前向きに息子さんをサポートしてこられたのは、いつも心の支えになってくれる医療スタッフの存在があったからこそ、と語ってくださいました。

*インヒビターができた時に行う止血療法のこと。

目次

ある日、血友病であることを告げられました

患者さん お父さま(40代) 脩平さん(17歳) お母さま(40代)―脩平さんが血友病であるとわかったのは、いつ頃ですか?

 生後10ヵ月の頃です。喘息のため病院を受診して、採血をしたときに血がなかなか止まらなくて…。それで検査して血友病だとわかりました。血友病という病名だけは聞いたことがありましたが、私たちには縁のない病気だと思っていたので、大きなショックを受けたことを覚えています。初めての子どもでしたし、日々の育児だけでも精一杯だった時期なので本当に慌てました。

―インヒビターができたのは、いつ頃ですか?

 血友病とわかって間もなくのことでした。最初は薬がすぐ効いて安心したのですが、それもほんの数回だけでした。あるとき注射を打ったら、脩平の顔がみるみるうちに青くなり、泡を吹いたのです。医師から「薬が効かなくなったのかもしれない」と言われたときには、頭が真っ白になりました。あのときの息子の顔は今でも忘れられません。

―その後、どういう治療をされてきたのですか?

 インヒビターができてからは、毎日のように通院していました。脩平の下には弟が2人いるのですが、弟たちが生まれてからは赤ちゃん連れの通院となり、それも大変でしたね。
 そして脩平が幼稚園のときに、知人から都内にある血友病の専門病院を紹介されました。その頃、脩平の足はだいぶ弱っていて、当時の主治医の先生からは、「歩くことは難しいかもしれない。このままでは車椅子の生活になるだろう」と言われていました。
 将来のことを考えると不安で仕方ありませんでした。そんな状況の中、すがるような気持ちで紹介してもらった病院に行きました。すると、そこの先生が、「歩けるようになる可能性はあります。あきらめずに、一緒にがんばりましょう!」と言ってくださったのです。希望の光が見えて、救われた気がしました。
 それからギプスを付けて歩く練習を始めました。不安もありましたが、「子どもは可能性を秘めている。きっと大丈夫。信じてやってみましょう!」と先生や看護師さん達が励ましてくださいました。そして半年後、脩平は本当に歩けるようになったのです。わんぱく盛りの幼稚園の時期の“歩けた”という経験は本当に大きかったと思います。
 息子の歩く姿を目にしたときには、嬉しくて泣きそうになりました。脩平はその頃のことを全然覚えていないと言うのですが…。そして、「この子は歩ける!」と言ってくださった先生に感謝の気持ちでいっぱいです。

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病気でもあきらめない。“できるようにするための方法”を求めて

―中学生のときは、運動部に所属されていたそうですね。

 脩平が中学生になって、「運動部に入りたい」と言い出したとき、親としては正直すごくためらいました。これからの長い人生を考えれば運動をさせてあげたいとも思いましたが、でもそれより「怪我をしたら怖い」という気持ちのほうが強くて…。
 そこで紹介された病院の先生に相談してみたら、「こちらでも全力でサポートしますから、ぜひやらせてあげてください」と言ってくださったのです。先生は、できる限り本人の意思を尊重してあげましょう、という考え方でした。本当に心強かったですね。

―何部に入られたのですか?

脩平さん ソフトテニス部に入りました。主治医の先生と相談して、いくつか候補を挙げてもらった中から自分で選びました。つらいときもありましたが、3年間続けることができました。そのときの部活仲間や顧問の先生との出会いは、僕にとって大切な宝物です。
 病院の先生たちに支えられて、本当にいい経験ができたと思っています。先生たちのすごいところは、「これはダメ」と言わないところです。却下するのではなく、いつも“できるようにするための方法”を探してアドバイスしてくださるのです。

―通院から家庭での輸注に切り替えたのはいつ頃ですか?

脩平さん 小学校5年生のときです。
 都内の病院へ通うのは遠かったので、病院の方から、そろそろ切り替えてみては?と提案を受けました。バイパス止血療法は時間がかかり大変ですが、それで入院などせずに止血できるなら良いと思っています。

―現在は、どのくらいのペースで通院しているのですか?

 勉強時間をなるべく多く確保したいので、家庭でのバイパス止血製剤の定期投与を基本としつつ月に1回、製剤をもらいに通院しています。主治医の指示に従い輸注間隔を調整しながら、症状がひどくなったときには緊急で診てもらう、という感じです。
 困ったときには、まず病院に電話をし、主治医や看護師さんから指示をいただきます。スタッフの皆さんが常にこちらの状態を把握してくださっていて、迅速に適切な指示を出してもらうことができるので本当に助かっています。

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病気を通して見えてきた将来の夢

―最近、肘の手術をされたそうですね。

脩平さん 高校1年生の冬休みと高校2年生の夏休みに、右肘と左肘の滑膜の手術をしました。
 脩平はスポーツが大好きな子で、思うようにいかない時がありつつも中学校では部活動に打ち込んでいました。そして中学3年生になって高校受験の勉強を始めたら、今度は肘が痛くなってしまった。本人は何も言いませんでしたが、内心はとてもつらかっただろうと思います。
 そして高校生になって、「大学受験の勉強が本格化する前に、先に両肘の手術をしておきましょう」と病院から勧められました。先生方は、いつも先を見越して筋道をつけてくださるので、私たちは安心してそれについていく、という感じです。

―病院のスタッフの方とのコミュニケーションが良好なのですね。

 先生方には、本当によくしていただいています。
脩平さん 入院すると、カウンセラーの先生が病室まで話しかけに来てくれるので、その時間が楽しみです。

―カウンセラーの先生とはどんな話をするのですか?

脩平さん 将来のことについて相談に乗ってくれたりします。僕が興味を持っている業界や職種について、先生が詳しく調べてきてくれたこともありました。あとは、僕が好きな小説や歴史のことを話したりしています。
 病気をした分、息子も私たちも、とても素晴らしい先生方と出会うことができました。健常な生活を送っていたら知り合うことはなかったでしょうから、そういう意味ではとても貴重な経験だと思います。幼い頃から周囲に尊敬できる大人がたくさんいるという環境は、恵まれているなぁとも思います。

―将来の夢があったら教えてください。

脩平さん 病気を経験した自分だからできること、したいことが、少しずつ見えてきた気がしています。まずは大学で外国語を勉強したいと思っています。そして、世界各国の最新医療や新しい治療法を日本に届けるような仕事ができたらと…。具体的なことはまだわかりませんが、医療者とはまた違った、コーディネーターのような立場で貢献できたらと考えています。

―たくさんの医療スタッフの方たちと接してきたからこそ、形になってきた夢ですね。

脩平さん はい。
 息子に将来の夢があったなんて、今日初めて知りました。ちゃんと考えているんだなぁと、我が子ながらに感心しました。これから、どんどん自分の世界を広げていってほしいと思います。
 たくさんの人に支えられてきたから、いまがあると思っています。自分の夢を通して、お世話になった方たちに少しずつでも恩返しができたらいいですね。

―とても素敵な夢ですね。どうもありがとうございました。

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