ファイン特別企画 患者・医療者座談会
思春期における血友病との付き合い方 〜前編〜

 患者数が多くなく、情報が限られていることもある血友病では、ご自身の状況について患者さんやご家族が不安や戸惑いを感じる場合も少なくないのではないでしょうか。
 そこで、今回、ファイン特別企画として、高校生・大学生の血友病患者さんと看護師・医師による座談会を開催しました。血友病患者さんの日常生活、友達との付き合い方、治療の状況や親御さんに対する気持ちなどについてお話しいただいたことを、前編・後編の2回に分けてお送りします。今回、参加いただいた4人の学生さんは、本当に元気で、また、しっかりした意見をもっておられ、笑いが大半、時にしんみりと、大変内容の濃い座談会となりました。
 前編では、学生生活の様子や友達との付き合い方、病気に対する心構えの変化などについて伺っています。

思春期における血友病との付き合い方 〜前編〜目次

■司会進行
鈴木 幸一さん
40代の社会人、血友病Aの重症

■参加者
矢作 洸士さん
大学1年生、血友病Aの重症
田中 拓巳さん(仮名)
高校2年生、血友病Aの重症
竹内 賢治さん
高校3年生、血友病Bの重症
川田 裕二さん(仮名)
高校3年生、血友病Bの重症

■アドバイザー

天野 景裕先生
東京医科大学 臨床検査医学分野 教授
佐藤 知恵さん
東京医科大学病院 看護師

 

僕たち、部活もバイトもこなして学生生活を楽しんでいます

鈴木 幸一さん 鈴木(司会) 今日は、高校生・大学生の血友病患者さんから、病気に対する思いや普段の生活の状況などを聞ければと思っています。僕自身も血友病患者なので、共感する部分や自分が学生の頃との違いなどを聞けるのが楽しみです。
 今回参加してくれたのは、ヘモフィリアキャンプ※に参加経験のある4人で、僕もよく知っている子たちです。
 まずは、簡単に自己紹介をお願いします。
矢作 洸士さん 矢作 矢作洸士です。18歳、大学1年生です。大学では、2つのサークルに入って楽しい学生生活を送っています。
田中 田中拓巳(仮名)です。高校2年生で、部活には入っていません。飲食店でバイトをしています。
竹内 竹内賢治です。18歳の高校3年生です。アニメ部で部長を務めていました。スーパーの自転車売り場でバイトをしています。
 僕の将来の夢は、看護師になることです。
川田 川田裕二(仮名)です。17歳の高校3年生です。卓球部に入っていて、今年の5月末に引退しました。
 僕も小学生で入院したときから将来の夢は看護師です。血友病には治療の費用がかかるので、職業は比較的安定している公務員が良いと思って、公立病院の看護師を考えています。
矢作 僕も、公務員だと安定して生活できるのかなと思っていますが、まだ将来の職業については悩み中です。
田中 拓巳さん(仮名) 田中 僕は、足が痛くなって会社に行けないような状態になったとしても、自宅でパソコンを使ってできるような仕事、たとえばSEなどを考えています。それで、情報処理を学べる高校に入りました。
鈴木 血友病の場合、出血すると歩けなくなるから、どうしてもそのときのことを考えるよね。僕はパソコンを使った職業に就いていて、ずっとゲームをつくっていました。
 僕が君たちの年齢の時代は、定期補充療法が有効な治療法として広く取り入れられる少し前だったので、日常生活に出血のリスクが結構あったんですよ。
 でも、今の時代、定期補充療法によってできることが増え、可能性は広がっていると思います。実際、キャンプで皆あれだけ動けるのは、すごいことだと思うよ。

※新都心ヘモフィリア・アウトドアクラブによるサマーキャンプ(東京医科大学児童研究会がプログラムを
 企画している)、通称ヘモキャン

定期補充療法で、体育や部活には制限なく参加できました

鈴木 今日の参加者は皆、重症血友病患者ということですが、川田君は卓球部に入っていたとき、出血したことはなかったですか?
川田 大きな出血をしたことはなかったですね。試合にも休むことなく出場していました。
竹内 賢治さん 竹内 僕は中学生のときは陸上部に入っていて、砲丸投げと100メートル走をやっていました。
鈴木 重症の血友病で砲丸投げをやっていたという話は、僕らの時代からするとちょっと信じられないことだよ。
竹内 実は、この部活に入った背景には少し事情があるんです。本当は卓球部に入りたかったのですが、親が陸上部の先生に、事前に僕の病気の話をしていたらしく、「陸上部に入りなさい」と言われたので、入ったんです。
天野 お母さんが陸上部の先生に病気の話をしたとき、先生の反応はどうだったの?
竹内 当時の顧問の先生は、病気の生徒に対して、よくみていてくれるけれど、特別扱いではなく他の生徒と同じ接し方をしてくれるという評判だったようです。「そういう先生が顧問なら」と親が思ったのかもしれません。
鈴木 その頃は自己注射をしていた?
竹内 はい。僕は、小学校の高学年くらいに自己注射を始めました。
矢作 僕も大体その頃です。
田中 僕は小6の夏です。
川田 裕二さん(仮名) 川田 僕は小5の夏です。
鈴木 小学校の5〜6年くらいのときに始めたということは、皆、中学校の部活に入っているときには、自己注射できる状態になっていたということだね。田中君はどんな部活に入っていたの?
田中 僕は、小・中学校と軟式野球をやっていました。中学校では部活の他に野球のクラブチームにも入っていました。
佐藤 皆、製剤があるからスポーツも安心してできたのかな?
川田 僕は、「製剤があるから」とは特に意識してなかったですね。
竹内 先生や看護師さんから、「製剤を打てば、健康な人と同じくらいに運動できるよ」と言われていたので、自分でもできると思っていました。
 体育の柔道などは親からあまりやらないように言われていたのですが、自分も他の皆と同じようにやりたかったので、体を動かすものには積極的に参加していました。そこで出血はそれほどなかったので、「製剤を投与していたからかな」と今では思います。
天野 体育で何か制限があった人はいる?
田中 僕は、柔道では袈裟固めなどの練習には出ても良いけれど、投げ技は頭を打ったときに大変だから見学するほうが良いと言われました。

友達には「元気すぎて病気があるようにみえなかった」と驚かれました

天野 景裕先生 天野 体育で見学するとき、友達に理由を聞かれたことはなかった?
田中 中学生のときは病気のことを友達に話したくないと思っていたので、適当な言い訳でごまかしていました。体育の先生は病気のことを知っていたので、友達には内緒にするよう頼んでいました。
 それで、高校2年の6月に、初めて友達に話したんです。
天野 友達の反応はどうだった?
田中 「元気すぎて病気があるなんてわからなかった」と(笑)。「でも別に普通なんでしょ?」と言われたので、「特に制限することなく普通にできるよ」と話して、今は心配かけることもなく過ごしています。>
矢作 僕は友達に「血友病という病気なんだ」と話していました。そういうことはあまり気にしないタイプだし、むしろしっかりと教えておいたほうが後々楽かな、と思っていました。
 友達は、僕に「無茶をさせてはいけない」くらいの解釈はしてくれたのかな、と思います。
竹内 小学校の頃はどうだった?
矢作 先生からクラスの皆に言ってもらっていました。それで、気遣ってくれる友達もいました。
川田 僕は小学校のときは病気のことを言う必要がないくらい何でもできていたし、中学校での体育も制限なく参加して、休み時間はボクシングやプロレスをして遊んでいました(笑)。
 仲の良い友達1〜2人には話したけれど、他は特に言ってないから、多分、ほとんどの人は知らないと思います。
鈴木 仲の良い友達には、なぜ言おうと思ったの?
川田 片道50kmくらいのサイクリングに一緒に行くようになったので、何かあったときのために話しておいたほうが良いと思いました。
竹内 僕の場合は、小学校の頃には親が先生には話していたと思います。ただ、僕が自分から仲の良い友達に、「僕、血が止まりにくいから」みたいなことは言っていました。
 中学校でやんちゃなグループと仲が良かったのですが、そのグループにも病気のことは話していました。でも、自分からプロレスとか無茶なことをやっていたので、皆、特別扱いはしていませんでした。
鈴木 その友達の前で出血したことはある?
竹内 1回あります。中学校の卒業直前に、やんちゃグループの一人に、ふざけて膝で腿を蹴られて幅が5センチくらいの血腫ができたんです。歩けないほど痛かったんですが、そのとき初めて、僕が本当に病気であることがグループにわかったと思います。
田中 僕は、野球のクラブチームでキャッチボールをやっていたとき、硬式のボールが右の腿に当たって出血したことがあります。でも、周りの友達には出血とは言わないで、「肉離れした」と言って助けてもらいました。
 その他には特にないですね。学校に行く前はすごく痛いけれど、学校に着いたら走り回っていたということが多いです。
鈴木 その現象は僕も知っている(笑)。楽しいときは動けるようになるんだよね。
田中 ただ、念のために、学校の保健室の冷蔵庫に製剤を置いてもらっていました。
竹内 僕も中学生のときは置いてもらっていました。保健室の冷蔵庫に置いておいて、使用期限が近くなると家から新しい薬を持って行って取り換えるという感じで、常に1個は学校にあるようになっていました。
川田 僕もそうです。
佐藤 知恵さん 佐藤 もし何かあったら、自分で打つの?
竹内 はい。実際には起こらなかったですが、両手が使えないなど自分で注射できない場合、学校の先生は注射できないので、「そういうときには近所の病院に連れて行ってください」ということを親が先生にお願いしていたはずです。

病気のことで、親にはキツいことを言ったこともありました

天野 ここにいる皆は自分の病気のことを受け入れられて、楽しい学生生活を送っているようだけれど、「こういう病気は周りの友達はもっていない、僕だけだ」と思ったときがあるでしょ。そのときの気持ちを聞かせてくれる?
田中 小学生のとき、野球の大会前に怪我をして出られなかったことがありました。そのときは悔しくてすごく泣いて、親に「何で僕だけこんな経験しなきゃいけないの」と怒りました。
 中学生になってからも、踵から出血して体育祭に出られなくなったことがあったのですが、そのときにはもう受け入れていました。
天野 どういうきっかけで受け入れられるようになったのかな。
田中 気付いたら、「周りに比べたら、ちょっとしたことで出血しちゃうけれど、注射していればある程度好きなことができるから、まあいいか」みたいに考えられるようになっていました。
矢作 僕も、わりと早い段階で病気のことを受け入れられていました。
 中学校の修学旅行で山登りをしたのですが、血友病ということで、僕だけモノレールで頂上まで行ったんです。皆は大変な思いで山を登っていたけれど、僕はゆったりと景色を眺めたりして、皆とは違った方法で楽しむことができました。そのとき、これはこれで良いのかなと思いました。
天野 なるほど。それはとてもポジティブな考え方だね。
竹内 この病気でマイナス面もあれば、プラス面もあるんですよ。一番大きなマイナス面は、やはり皆と同じようには運動できないこと。それに、僕は血友病の他に気管支喘息やアトピー性皮膚炎などの家系の悪い要素みたいなものを受け継いでいるんです。それで、親に「何で家系の悪いところを全部僕がもらっているの」と、少し強く当たったことがありました。
 そしたら親が悲しそうに、「健康な子に産んであげられなくてごめんね」と言ったんです。その顔を見た瞬間、「お母さんも本当は健康な子に産みたかったはずなのに、それを反省させるのは間違っている」と思いました。
 それをきっかけに、自分が血友病であることについていろいろ考えるようになり、「この病気だからこそ得られたものを探そう」という気持ちが出てきました。

かけがえのない友達と出会えたのは、この病気だったからこそと考えています

竹内 それでまず浮かんだのは、ヘモキャンのことです。ヘモキャンでは、看護学生や医学生などのいろいろな人に会えるし、この病気で同じような境遇の人たちと出会って友達になれます。そこでできた友達とはその後の関係も長く続くし、現に僕と川田君なんて、かなり密ですから。
 確かにこの病気で嫌だなと思うこともありますが、だからこそ出会えたものもあるので、この病気になって生まれたことに意味があるんじゃないかと思いますね。
矢作 確かに、この病気だからといって、決して悪い人生というわけじゃないんだよな。
田中 1年に1回のキャンプは楽しいしね。血友病で悩んでいたら、「キャンプに参加しようよ」と言いたいですね。きっと前向きに考えられるようになるから。
矢作 僕がヘモキャンで一番好きなのは、皆でいろいろ話し合って夜更かししているときです。それで仲良くなれる。
鈴木 毎年続けていることも大きいだろうね。
川田 それに、先生や大人の付き添いが多いから、親も安心して子どもをキャンプに送り出せていると思います。
竹内 こうしたキャンプがない地域もあると思いますが、その場合でも、患者会やサイトなどで同じ境遇の人を探してみてください。まず、絶対に気が合うんですよ。だって、同じ病気だから。
矢作 大体やれることは同じ。
田中 初対面なのに、そんな気がしないんだよね。

(後編に続く)

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