“ファイン”な仲間たち[ 体験談 ]成人の患者さんの体験談
看護師として、自分の病気の経験も生かしていきたい

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志賀誠也さん(仮名) 22歳看護師

今年春、看護師国家試験に合格した志賀誠也さん。一度は就職したものの、東日本大震災をきっかけに、「本気で人助けをしたい」とチャレンジ。看護師としての新しい生活が始まります。


目次

心配が重荷になり、挫折した初就職

――この春から看護師として働くそうですね。

誠也さん はい。昨日が看護専門学校の卒業式でした(取材は3月)。4月から地元からは少し離れた街の病院が新しい職場となります。実は高校卒業後の約1年間は、会社員として働いていました。東北の高校卒業後、親元を離れての一人暮らしに憧れ、関東地方の紙袋を製造する会社に就職しました。高校の友人も同じ会社に就職し、生活は楽しかったですが、紙やへらなどで指を切ってしまったり、機械に挟まれたりとケガをしやすい環境で大変でした。

―― 仕事場には病気のことは伝えていなかったのですか?

誠也さん はい。血友病のことは考えずに就職を決めてしまいました。仕事を始めてからケガをして出血するのではと不安になり、上司に病気のことを相談して、薬剤を会社に常備させてもらうようにしました。すると薬が手元にあるのだという安心感によってケガはかなり減りました。それまではビクビクして緊張し、作業することに慎重になり過ぎていましたから。しかし一方、上司に相談したことをきっかけに僕が血友病だということが社内に広まり、噂を聞いた人から「大丈夫?」と聞かれることが増えました。誰も悪気はないとは理解しているのですが、それがだんだん自分のストレスとなり、そのうちプレッシャーによる頭痛が始まり、通院が必要になりました。あまりにも辛くなったので11ヵ月でこの会社を辞めて地元に戻る決心をしました。親に車で迎えにきてもらったその日がちょうど3年前の3月11日。埼玉のパーキングエリアで東日本大地震に遭遇しました。

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震災を経て看護師への道を決意

―― 震災の被害は大きかったのでしょうか?

誠也さん 自宅周辺は、見た目では地震の影響は何もなかったです。しかし、職は一切ありませんでした。あるのは、がれき撤去などの力仕事だけ。僕は工業高校の電気科出身だったので、仮設住宅に電気を開通する仕事をしましたが、力仕事で足を痛めてしまいました。
 ただ、仮設住宅で働いてみて「本気で人助けをしたい」と思うようになりました。その時“看護師”という職業が頭に浮かんだのです。実は僕の通う病院の患者会に参加している先輩が、東京で血友病専門病院の看護師をしているのです。また僕自身も小さい頃から看護師に憧れがありました。こんな理由から僕は2年前の4月に看護学校に通うことに決めました。数学が得意だったので、入試の成績はトップだったんですよ。
 授業はともかく、病院での実習はかなりきつかったですね。医療の現場は、机の上とはまったく違う世界でした。患者さん一人ひとりが違うのです。これから就職したら、患者さんのよく話を聞いて、いろいろな知識を得られたらいいなと思います。自分の病気の経験も、看護師として患者さんとのコミュニ
ケーションに生かしていきたいと思います。

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くも膜下出血を通して知った製剤の意味

――ところで誠也さんは、小さい頃はどんな子どもでしたか?

誠也さん とても活発でした。重症ですので、親からはケガをしないようにと言われていましたが、よくあちこちに内出血をつくっていました。
 スポーツも好きで小学校時代はサッカー、中学、高校時代は卓球をやりました。卓球は横の動きが激しく、足首も使うので案外ハードなスポーツです。部活は厳しかったですが、毎年県大会に出ていました。試合に勝つのはやっぱりうれしかったです。

――自己注射はいつから始めましたか。

誠也さん 小さい頃は先生や看護師さんに打ってもらっていました。自分で注射できるようになったのは13歳頃。最初は怖かったですが、自分でやってみると意外にすぐにできました。多分手先が器用な方ですね。注射のコツは迷わないこと。迷うと、どうしてもゆっくりになり、痛みを感じます。すっと入れれば痛くないです。
 自己注射をするようになり、生活が変わりました。通院による親の負担が軽くなったのは大きかったと思います。その一方で、「自分で注射できる」と思うと注射がおろそかになって「面倒だから今日はいいか」みたいな感じで少しずつルーズになっていきました。

――重症なのに製剤をきちんと打たなくて大丈夫でしたか?

誠也さん 中学高校時代の僕は、血友病という病気をあまりちゃんと理解できていなかったと思います。血液製剤も、「凝固因子を補充する」という理解ではなく、痛み止めのような感覚でとらえていました。そんな高校2年のある時、急にひどい頭痛に襲われました。両親が病院に連れて行くと言って車に乗ったところで意識が途絶えました。診断名はくも膜下出血。手術ではなく、製剤を投与して治療できたのですが、いま考えるとぞっとします。
 この時、主治医の先生と、いつも心配してくださっている奥様にこっぴどく怒られました。「自分の病気を理解してない。注射は痛み止めではない」って言われて。この経験から反省し、病気についても勉強したり、考え始めるようになりました。

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血友病のことを話しても友だちは去ったりしない

―― 同じ病気を持つ後輩になにかアドバイスはありますか?

誠也さん あまり自分が病気であることを意識し過ぎず、周りと楽しくやっていった方が、いいですね。でもそのためには「定期的にちゃんと注射を打とうよ」と言いたいです。それから、どうしても自分が血友病患者って、言いづらいと思います。もし病気のことを話したら友だちに避けられるんじゃないかと、僕もずーっと思ってしまっていました。でも今は「病気のこと話しても大丈夫だよ」と言いたいです。病気のことを知って離れていく友だちなんて本当に一人もいなかったですから。

――そうですよ! そしていよいよ就職ですね。

photoimage誠也さん はい。また一人暮らしが始まります。でもきっと1回目の就職よりうまくいくと思っています。勤務する病院は療養型なので、おじいちゃん、おばあちゃんと向き合うことになります。やってみないとわからないことがたくさんあって、これからが自分の勝負だなって思います。人生のいろいろな場面を見て行きたい。そしていずれチャンスがあれば、看護師として血友病の人たちをサポートしていきたいと願っています。

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