“ファイン”な仲間たち[ 体験談 ]成人の患者さんの体験談
〜最適な定期補充療法で、演奏活動と
クリエイティブな仕事を両立し、充実した毎日を送っています。

長沢雅行さん(仮名) 39 歳
音楽プロデューサー

成人の患者さんの体験談-目次

内向的だった少年時代

photoimage

 私の両親が病気に気づいたのは生後1年以内だったと聞いています。乳幼児によくある痔ろうの手術を受けた時に、医師から出血が止まらないと言われ、検査の結果血友病と診断されました。遺伝的なケースではなく、突然変異だったようです。
 そのため私は物心つく前から、両親に「出血するので乱暴なことをしてはいけない」と言われて育ちました。この病気により幼稚園は受け入れ先がなかったそうです。一人っ子で、自宅で静かに過ごしていました。
 小学校入学の際には学校から特殊学級(現在は「特別支援学級」)を勧められたそうですが、母が粘って普通学級に入りました。保護者会や先生を通じて、同級生には「あの子には乱暴なことをしたら死んでしまうから、してはいけない」というような説明があったようです。
 小学校時代はピアノを習っていました。でも、取り立てて音楽が好きなわけではなかったですね。小さい頃は自分になりたいものはなく、もしあっても自分はどうせなれないだろうという諦めがありました。
 小学校時代の体育の時間はずっと見学していて退屈でした。出血があると学校を1週間近く休まなければならないのですが、その間も暇なので、自宅で教科書を読み、理科や社会の図鑑を見ていました。これが予習になったので成績はよかったです。住んでいた自治体には、病気などで休みがちな子どもに勉強を教える先生を派遣するシステムがあり、家庭や入院先にも先生が来てくださっていました。クラスの中での自分は、やはり特殊な存在だったと思います。
 定期補充療法のスタートは小学校4、5年生頃です。それまでは出血が起こった際は自宅近くの国立病院で点滴による補充をしていましたが、時間もかかり、じんましんなどの副作用にも悩まされていました。しかし、6年生の時に入院をして、担当医に自己注射を教えていただき、そこから私の生活も大きく変化しました。
 中学に進学すると、体育は見学が多かったものの、友だちと遊んだり走ったりすることが大分できるようになりました。体を鍛えたくて、腕立て伏せや腹筋なども自分でしましたね。足をケガしてしまうとしばらく松葉杖生活になるのですが、そうすると腕に筋肉がつき、腕相撲が強くなったりしていました。修学旅行にも行けるようになり、内向的な性格が少しずつ外向的に変わっていきました。

弦楽器と“運命の出合い” を果たす

  高校に進学して、管弦楽部に入りました。再び音楽、そして弦楽器と出合った時、生まれて初めて、「自分を活かせる場所が手に入った」と感じました。そこから部活動にのめり込んでいきました。授業中もよくさぼって音楽室で楽器を弾いていました。管弦楽部は東京代表として全国大会に出場もし、充実した日々でした。
 それまでよく出血した箇所は、脚のくるぶしや股関節、ひざ関節などだったのですが、弦を扱い、ひじをよく動かすようになったため、ひじの関節の出血が増えました。それでも自分のやりたいことが見つかった喜びの方が、ずっと大きかったのです。ただ当時の私には、まだ自分が社会に出て何かできるというイメージが持てず、将来について聞かれるのが、一番嫌なことだったのを覚えています。

大学時代は、自己注射をさぼったことも…

photoimage 部活に熱中していたので、あまり受験勉強をしなかったのですが、大学に進学し、そこでも管弦楽を続けました。大学に入るとまた世界も広がって、他大学の演奏に助っ人として呼ばれることも増えました。毎日が面白く、交友関係も音楽活動も忙しくなってくると、注射をさぼることもありました。自分で関節内出血に気づきながら注射をせずに放置してしまうこともあり、関節にも影響が出ました。当時のことを後悔している部分もありますが、それでも素晴らしい時間でした。だから若い血友病の患者さんに「遊ぶな」とは言いたくないですね。その上で「注射だけは、きっちりやったほうがいい」とアドバイスしたいです。
 大学で就職活動を始める時期に、主治医の先生に「血友病の自分に仕事ができるかどうか不安です」と相談したところ、同じ血友病の社会人の方を紹介してくださいました。その方とお会いし、「大丈夫だよ!」と背中をポンと押された経験があります。私がこのインタビューを受けようと思ったのも、そういう出会いがあって当時の私が仕事をする第一歩を、踏み出せたからです。自分の経験も誰かの役に立てればうれしいと思います。
 そんなわけで、大学卒業後は、まず塾の管理と指導をする教育関係の会社に就職しました。そこを2年後に退職し、貯金していたお金を弦楽器の購入と専門学校の入学金に充て、医療事務の資格を取り、人間ドックの営業の仕事に就きました。9年間、営業職として働きながら、その一方で演奏活動も続けていました。
 その後、演奏活動でおつき合いのあった現在の会社に誘われ、音楽関係の仕事へと2度目の転職をすることになりました。クラシック音楽のプロデュースの仕事は、私にとって一生かけてもいいと思える仕事です。弦楽器の演奏とこの仕事…。私にとってかけがえのない出合いを得たことを感謝しています。

生活の質を確保するための定期補充療法

 現在、私は右腕のひじの内側部分に2000単位を週2、3回、注射しています。関節内出血が起こった場合は、倍量投与して様子を見て、ひどくなりそうだと思ったら、翌日も同じ量を打ったりしています。
 実は、子どもの頃に、親から「血液製剤は高価だから人に感謝して打ちなさい」と言われて育ったため、製剤を打つことに遠慮する気持ちがありました。しかし、現在の主治医が適切な投与量を提示してくれたのです。現在かかっている先生との出会いによって、今ではそういう考え方からは少し自由になり、自分の体調に合わせて投与す ることで、自分らしい生活を維持しながら病気とつきあえるようになりました。また常温で管理できる製剤を使い始めたことで、持ち運びがしやすくなったのも大きいですね。自己注射が楽になり、多少無理のあるスケジュールであっても、積極的にこなすことができています。今は関節の変形している箇所の出血に気をつけてはいますが、普通の生活ができています。
 今後これ以上関節を悪化させたくない、と強く思います。そのためにもきちんと注射をしていきたいです。ひじは少し変形があり、筋力も落ちてしまっているので、注意して生活をしていますが、歩行に関しては問題なく、ある程度は走れますので、これを維持していきたいですね。
 これからも仕事と、そして楽器をやめずにずっと演奏を続けていけるように、関節を大切に守りたいです。そしてもっと演奏の場も広げていきたいと思っています。

このページの先頭へ