冊子「Friends」

【血友病体験談】自分でできる?家庭治療・自己注射〜インヒビター

インヒビター

家庭注射できていたら…

小学校1〜2年はなかったんですけど、小3頃から通院のために早退したり、途中登校するのを強く嫌がるようになりました。途中で教室に入っていくのが嫌で、学校そのものは嫌ではないようでしたが、通院早退や治療による遅刻などを記した連絡帳を学校に持って行くのもひどく嫌がりました。特に途中登校の際は休みたがり、あまり強引に行かせて学校嫌いにさせても困るし、かなり悩んでカウンセラーの先生にも相談しました。家庭注射や自己注射が導入できれば、うまく対処できたんだと思いますが、あの子インヒビターがあったので、うちでは開始することができず、その都度、通院する羽目になっていました。中学校もそんな具合であまり楽しそうではありません。落ち着いたのは高校入学後、インヒビターも低くなって、校内マラソンを完走できたり、合唱部に打ち込んだり、たくましくなりました。大学に進学してからも海外旅行したり、朗読の趣味を続けたりと自由にやっています。 母(30歳)

インヒビターあったんだ

若いころはインヒビターなんて話は聞いたことがなくて、知らなかったんだけど、今、思えばインヒビターがあったんじゃないかと思う。とにかく製剤なんてもん、うっても、効いた気がしないし、だから、あんまりうたなかったし、こんな効かない物を注射するために練習するなんて気持ちはさらさらなかった。今のように効くならやってたと思うけど…だから始めたのは、12年前の40歳半ば頃だった。きっかけは出血して入院して、主治医がどうせ時間があるなら練習しようと勧めてくれたこと。自己注射になってからも血管に入らないし、痛いし、効かないし、一年半以上も外来診察や救急に駆け込んで注射してもらう生活が続いてた。地元の大学病院の先生がベセスタっていうの?それを測ってみたら当時3ケタあって、「これじゃ効かなくて当たり前だよ」って言われた。しばらくして地元の病院に、たまたま詳しい先生が来て、「あなたは最低でも10000単位うたなくちゃ効かない」と言って、カルテに書いていってくれた。それからは、ちょっとした出血でも10000単位をずうっとうってもらっていた。それ4〜5年くらいやってたかな。それで人工関節の手術をしようと専門病院に行った際に、またインヒビターの検査してもらい、その時は「検出できない」っていう結果になっていた。治ってたんだね。10000単位をうち続けていたのが「減感作療法」ってやつになっていたんだね。それが今から6年前。効くと分かってからは、ちゃんと自分で注射してますよ。確かに私の半減期は7時間くらいで、まだ他の血友病患者さんより短いかもしれないけど、効くことは確かだからね。今はインヒビターでもいいやり方があるんだってね?それなら俺みたいに関節悪くしないように自己注射したらいいよ。 本人(55歳)

恵まれている

家庭治療は10歳から。そのころの私はインヒビターに悩まされていました。完全には防ぎきれないまでも、出血の気配を感じたら初期段階での投与ができたことは、病院へ行き先生の診察と投与を待つことよりも、自分自身の体への自己管理のきっかけになったと思います。当初は母に投与技術を覚えてもらっていたが、その頃の私は肥満体型だったため、血管を探し当てるのも苦労しました。苦肉の策で足首や脛に打ってみたりもしました。親子喧嘩と血管を潰してしまう失敗を繰り返し、何度かの中断を経て最終的には小学5〜6年頃、自己注射を一応習得しました。我がままになりやすい私には親よりも自己投与が向いていたのだと振り返っています。寒い時期は血管が縮むので、しばらく熱湯に投与予定箇所を浸けるなど、一回目の針刺しで成功するように心がけました。私には最初に成功することが、その後の投与期間にも関わる大きなポイントでした。数年前、自分と歳が近いインヒビターの患者さんとお話した時に、「自分は今でも自己注射はしていない、家族にしてもらっている」と聞き驚きました。患者さんそれぞれの選択は尊重しますので、別のチョイスもあるよとお伝えしてみましたが説得は難しいですよね。しかしこれだけはお伝えしたい…何よりも自分自身の生活圏を広げて、選択肢も広がるし、痛みから解放される時間が早くなります。そしてこの自己投与及び、血液製剤を個人の患者に管方してくれること、これは「特権」以外の何物でもないと思うのです。製剤すら手に入らない血友病の患者さんが世界にあふれている状況下で、わたしたちは日本人である特権をおのずと甘受しているのだと感じています。 本人(40歳)

参考: Friends「自分たちでしよう」編(小島賢一)(バクスター)

関連リンク: 血友病インヒビターとは